2021/04/02 15:59

緊急事態宣言が出されてから自宅で過ごす時間が長くなり、スマホをいじったり自宅で映画やドラマを見たりする時間が圧倒的に増えました。皆さんの中にそういう方がいらっしゃると思う。
僕もアマゾンプライムビデオで面白そうな映画をずいぶん見て、もう何を見ていいか分からなくなり、NetFlixに加入して愛の不時着を見たり(最終回までいかずに挫折笑)、永遠と続くオリジナルドラマにはまって寝れなくなったり。
さすがに疲れてベッドに入って目を閉じても、脳がストレスを感じているのがわかる。もともと性能が良くない頭なので、秀作を適度な時間(量)脳に取り入れるようにしないと駄目ですね。良いものを選んで見ないといけません。


さてそんな折、WOWOWで映画「蜜蜂と遠雷」が放送されていました。原作はご存じの恩田陸の直木賞作品。小説を読んた折り、言葉で巧みに音楽を表現する文章がすごく上手くて、この作家の文章力に嫉妬したのを覚えています。
そして、いつか映像化してほしいと思っていたので、実にうれしい。実際、映画では音楽を聴きながら物語が進行するので、リアリティーが増して小説の世界観がぐっと広がる。そうすると、クラッシク音楽にさほど造詣の深くない僕でも、映画を通して音楽の素晴らしさを少し理解できたりするわけです。
そして今回この映画「蜜蜂と遠雷」は、ずっと僕には馴染みのなかったプロコフィエフの魅力を大いに感じさせてくれた。
小説を読むだけではそこまで行けなかったので、この映画に感謝したい。


セルゲイ・プロコフィエフはロシアが生んだ20世紀の大作曲家の一人。僕にとっては同時代の(少し前だけれど)ラフマニノフに比べると難解でなじみ難い音楽なので、正直全然聴いていなかった。だけどこの映画の中で聴くピアノ協奏曲は、僕の中にすっと入ってきて、旋律の美しさと躍動感に心がワクワクさせられた。そう、この感覚。それを感じられたのが大事なのだ。映画の後半、主人公の一人の女性が、「プロコフィエフを聴くと踊りたくなる」と言います。なるほど、それだ!僕も感じた心躍る旋律。
そしてその後の場面で、彼女がディアギレフとバレエ・リュスの名を口にします。プロコフィエフとディアギレフ。そしてバレエ・リュス・・・その場面で僕の頭の中に描かれたのは、20世紀初頭のパリの社交界とアール・デコのジュエリーなのです。 


セルゲイ・ディアギレフは1906年頃からロシア音楽の演奏会をパリで主催し、その後オペラやバレエを含めた舞台を展開しヨーロッパで成功を収めていきます。そして1911年には常設のバレエ団〈バレエ・リュス、(ロシア・バレエ団)〉を創設し、多くの優れた芸術家を動員した、総合芸術としてのバレエを確立していきます。舞台装飾、衣装、ポスター、そして音楽。そういった関連する全ての芸術を総合的にプロデュースしたディアギレフが率いた バレエ・リュスはパリの街にセンセーショナルを巻き起こします。そして芸術家にも大きな影響を与えたのです。ディアギレフはストラヴィンスキー、ラヴェル、サティー、ドビッシーなどの作曲家にバレエ音楽の作曲を依頼していますが、プロコフィエフに作曲を依頼したのは1915年のことです。ちょうど戦争の激化などの理由で頓挫し、「道化師」という作品がパリで初演されたのは1921年(作曲は20年)にいなってからです。因みに映画で使われたピアノ協奏曲 第3番 ハ長調は、1921年とほぼ同時期にに作曲されています。



さて、ちょうどその頃、つまり20世紀初頭のジュエリーといえば、ルイXVI時代のデザインを模したガーランドスタイルの全盛時代です。しかしルイ・カルティエはもう既に、自ら作り出したガーランドスタイルの流行を打ち破る新しいデザインの確立を模索しています。そんな中、カルティエのデザイナー、シャルル・ジャコーがアール・デコのデザインを生み出す大きな原動力となったのが、ディアギレフが率いたバレエ・リュスが魅せた世界です。彼らの舞台で繰り出される、オリエンタルなデザインや色使い、幾何学模様を駆使した衣装などはあまりにも強烈で、パリの人々に強いショックを与えたのです。ジャコーの妻は、ジャコーが公演を見た後に、スケッチブックを握りしめて喘いでいる姿を見たそうです。その後の彼の熱狂的なバレエへの関心がジュエリーデザインに影響を及ぼしたのは自明の理です。バレエ・リュスの絶大なパワーがガーランドスタイルを打ち破る原動力となり、ジャコーはアール・デコへ突き進むことができたのです。


上から1927年12月号Vogueに掲載されたジュエリー、Dusausoy,Chaume,Aucoc,G.Fouquet,Mauboussin,Boucheron,Lacloche,P.Templier,Vever等、そうそうたるメゾンの名が並ぶ。次はバレエ・リュスの衣装(2014年新国立美術館で開催された、魅惑のコスチューム バレエ・リュス展より)バレエ・リュスの強い影響が明らかだ。

1913年から22年のシャルル・ジャコーのデザイン画。

シャルル・ジャコーデザインによるブローチ・ペンダント1913年。
この時代にすでにこのデザイン! シャルル・ジャコーとカルティエの先見力が際立つ。
                                                     思えばカルティエはロシアのファベルジェの影響も多大に受けています。ロシアの古典的貴族様式のジュエリーを製作しながら、その後の新しいデザインもロシアの芸術からインスピレーションを受けているとなると、20世紀初頭のジュエリーにロシアの芸術は大きな貢献をしていると断言できます。

プロコフィエフとディアギレフとバレエ・リュス、ルイ・カルティエとシャルル・ジャコー、「蜜蜂と遠雷」という映画を見ながらこんなことを思っていたのでした。 



Martha Argerich 
Plays Prokofiev Piano Concerto No.3 
Singapore International Piano Festival 2018