2021/01/14 19:00

今日は僕のジュエリーの見かた、判断基準の一例、といったお話をしたいと思います。 
この文章自体は少し前に書いて、暫くの間「書き物」というフォルダに仕舞忘れていました。
今回少し手直ししてご紹介します。(同じようなことを以前どこかで書いたかもしれません)
途中に書いてあるように、「まあ、そんな見方もあるよね」くらいな感じで、肩の力を抜いて読んでもらえれば僕も嬉しいです。

優れたジュエリーとは? と聞かれたとしたら、みなさんはどう答えるでしょうか。 
いろいろな角度から考察すれば、答えは一つではないのは当然ですが、でもあえて僕が答えるとすれば、 「素材のクオリティーが高いのは勿論だが、優れたジュエリーとは、宝石や貴金属の大さではなく、それを作り出す人の観念や思想を表現したジュエリーのことを指す」 と答えるでしょう。 


ちょっと抽象的な言い方で分かり辛いかもしれませんので、これから書くことは、まあ、そんな見方もあるよね、くらいな感じで読んでくれればいいです。  
唐突ですが、「優れたジュエリーにはリズムとハーモニーがある。大袈裟に言えば、音楽を理解できないと優れたジュエリーを作ることはできない」 と思うのです。


〜1890年頃に作られたダイヤモンドティアラ〜


例えば、目の前にDカラー、フローレスのダイヤモンド100個を規則正しく並べたジュエリーが輝きを放っている、としよう。
何処にもスキがない精緻な作りだ。 爪も極めて小さく、ブリリアントカットされた100個のダイヤの集合体が圧倒的に輝き、迫力に満ちている。bling-bling。
しかし暫くすると、それはやがて”ギラギラと輝く”というだけの美しさに見えてくる。
同じ音を、同じリズムでずっと聴かされているような単調な繰り返しで、だんだん退屈になってくる。
それこそ〝 輝き慣れ″ してしまえば、抑揚のない光る物体でしか無くなるのだ。

Ajitato(アジタート・激しく)♪ Dカラーフローレス ♪ Dカラーフローレス ♪ Dカラーフローレス ♪ Dカラーフローレス ♪ Dカラーフローレス ♪ Dカラーフローレス bling-blingbling-bling・

〜現代のダイヤモンド ブレスレット


想像してみて欲しい。 バッハのバロック音楽や、モーツアルトのメロディーやハーモニーのファンタジー。 ベートーベンの交響曲。ブラームスやラフマニノフの甘美でロマンティックなメロディーなど、そういった音楽を感じさせるジュエリーがあったとしたらどうだろう。 
デューク・エリントンやビル・エバンスのジャズでもいいじゃないか。
そう、グルーブ感やシンコペーションも大切だ。 ジュエリーの表面に並んだ音符やグルーブ。
それが奏でるリズムとハーモニーを読み取り、音楽の美しいフォルムが心に迫れば、Dカラーフローロスの単調な音を100回聴かされるよりも遥かに感動的ではないか。ジュエリーを作曲するのは簡単ではない。
そこには美しい音や、豊かなリズム、色とりどりの音色とハーモニーを表現することが必要だからだ。
きちんとした修練を積んでいな者が、安易に作曲したジュエリーはリズムもばらばらで、メロディーラインやハーモニーも美しくない。
だから実力の無い者は、それを誤魔化すためにどこかにドーンと大きな太鼓(大きな宝石)の音を入れるとか、キーンと強調する音(高価な宝石)を入れて目をくらませようとする。まったく間抜けなグルーブだ。
そしてよくあるのは、陳腐な歌謡曲のような物語を作って誤魔化したりしているものだ。
そんな音楽は聴きたくもない。そんなジュエリーは欲しくもない。
19世紀後期に作られた見事なパールを生かした作品 優れたアンティークジュエリーを見ると、そこにはリズムとハーモニーがあり、上質な音楽が奏でる物語が現れている。
だからそのジュエリーからは、それを作った人の観念や思想を感じることが出来るのだ。

あなたが優れたジュエリーを探したいのなら、ジュエリーの奏でる音に、目と耳を澄ませてみることです。 いいジュエリーを手に入れる鍵が、そんなところにあるかもしれません。

世の中には 「優れたジュエリー」と、「余り優れているとは言えない」 ジュエリーしかないのです。